日記
世界への絶望がわたしの体内に広がっている。大きなところでは差別問題から日本の国政の腐敗、近いところでは親から私への支配的な要求。世界はきゅうくつで、だれの目にもかすんで見えない。
なにか目に見える強さがほしいという願望が湧き出た。これは昔の人々が絶望のなかで神の救いを希求したのとまったくおなじ願望である。あるいは俺TUEEE小説を読む中二病のオタク。だからこれは単なる現実逃避であり、満たされることのない空虚な欲求だ。
ただ、そうした到達しえない欲求を、あるていど本気にして、努力することで拓かれる現実の側面があるのではないか、と思うようになった。だから絵の練習をすこしずつすることにした。
エヴァ旧劇は「現実」と「夢」を別のものとして分けたうえで現実への回帰を語ったが、それは暴力的じゃないかと、ずっと感じていた。
われわれが生きる「現実」は、連続しない(独立しているわけでもない)個人の身体的なエスが動的に形成するゆるやかな「夢」みたいなものである。
俺たちは神とか王とか、ファシストとかのアイドルが世界をまとめる(と人々が錯覚する)力を失ってしまった時代に生きている。それでみんな新しいアイドルを探している。しかし新しいアイドルは冷戦終結から20年近く経っても見つからない。それで死んだはずの既製品の再生産が蘇生されて受け入れられるようになった。ポピュリズムという名に再メッキされたファシズムと、レイシズムが広まった。ということなんだと思う。
「レイシズムやファシズムとそれに対抗する人々」というCNNや赤旗が描く図式は、政治上はただしいが、実際に対抗運動としてのデモやを行っている人間もアイドルを囲っていることが多いと思う。デモでジョージフロイド氏の写真をかかげているのってそういうことでしかないと思う。毛沢東語録やMAGAキャップと同じだよ。
もう、気づくべきだ。アイドルのいない世界を作らないといけないんだ。殉死という概念から力を取っ払わないといけない。人の子はドラマではなく現象として殺されるんだ、英雄もメシアも存在しないんだ。
アイドルの存在しない世界を作らないといけないんだ!俺たちは無力な一個の存在として、アイドルのいない世界で、自分の想像力と思考能力を翼のように広げて生きていくことでしかあたらしい世界は作れないと気づくべきだ。神話は滅びしか築けないが、人間の無力な肢体が有限の可動範囲のなかで表現する業には光がともる可能性がある。
外付けのアイドルではなく、自分の表現能力を信じて一人一人が語ろうとしなければ、永遠にファシズムの焼き直しが徘徊しつづける。
既成の世界で力をもった存在(歌手とか、セレブとか呼ばれる人)の言葉などを旗印にしてはいけない。むろん彼らも無力な存在にすぎないから発言は自由だが、有名人のことばなどに振り回されているようだからトランプの戦略が刺さってしまうんだ。
私はこれが無理筋なことはわかっている。ジョージフロイド以前に十字架や国旗をかかえた人間の蔓延する世界で、殉死を捨てろというのは暴言に近いし、ファシズムやレイシズムなどのアイドルに対して、対抗アイドルなしで戦えるかというと難しいだろう。
だから今はしかたない、アイドルを使ってマシな世界を作っていくことに協力する。多様性という名の一元的なアイドルのために努力することで、拓かれる未来もありはする。
だがその一方で俺は200年後の人間のために道を残せるようになりたい。LGBTQのケバケバしい旗のドぎつい色の中に俺はいない。顔文字の何パターンかであらわされた肌の色という名の「多様性」のなかに俺はいない。天皇が象徴するという「国民の統合」のなかに俺はいない。そう言い続ける。
私が私のために広げる拙い想像力のなかにしか私はいないんだ、と言い続ける。
追記:文章がややわかりづらかったですが、私はデモに否定的なわけではないです。デモはもちろん支配構造と結託した差別と闘うには暴力や破壊活動すら肯定される余地があると思っている。