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檜山バターン(@hiyanimation)のブログです。note(https://note.com/batahiya)では別の記事を載せていてそっちの方がちゃんとしてます。このはてなブログは知人に読まれることを想定していることが多いです。

陰謀論にハマった父を救えない

居間で垂れ流される陰謀論、たすけて~

 父親がトランプ勝利説の陰謀論の動画を見るのにハマっている。別に知りたくないんだけど、スピーカーで下世話なyoutuberの言説を垂れ流しているのが休日ずっと聞こえるからわかる。本当に悲しい……。
 私の父親は学歴も大学中退の俺よりはあり、ここ30年近く建築の頭脳職をやってきた人間だが、人文学的教養とコミュニケーション能力が欠如した人間である。昨年ごろかな、ネトウヨ臭い動画(日本の国益は某国人によって奪われている!系のやつ)を見ているのを最初に知ったときはネットリテラシーないとああいうのにハマる時期もあるよなあと思った。私も2ちゃんねるネトウヨ言説に中二のころは罹患していたから、まあ教養の低い人間がやる通過儀礼のようなものだと思ったわけだ。
 ところがどういうわけか、今では休日じゅうずっとそんな動画を見ている。いままで政治に熱をあげたことがない人間がだ。いまでも新聞やまっとうな書籍などはいっさい読まないからマジでトランプの陰謀論だけ一日中追っているようである。

 

なぜはまっちゃうのか

 まずいうまでもないことだが、不正選挙などというのは根も葉もないデマである。最初はいろいろ錯綜していた(といっても信憑性のある証拠はなかった)が、いまでは各州の裁判所がトランプ側の訴訟を棄却し、トランプ政権の中枢にいた人物も続々と離反している状態で、これはもう終わった問題と言っていい。なのでソースとかわざわざ貼りません。
 しかしそもそも、なぜそんなことを一日かけて見続けるのか謎である。仮に大統領がトランプになったところで、日本の庶民のオッサンに入る銭も益も一切ない。「バイデンになったらアメリカが中国のものになる」みたいな与太を信じたところで、なにかできることはない。だが、インターネットを概観すると、この陰謀論に御執心の方は多いようだ。だからこれは日本国内においては政治的な問題と言うより、一種の宗教的なムーブメントと見るほうが正しいだろう。

 それでなんでこんな宗教的イベントが起きているのか考えました。

 見ていて思うんですがネット右翼的な言説や陰謀論に入れ込む人、特に中高年って、居場所がないんですよ。ちゃんと自我や、マイノリティとしてのアイデンティティも持てない人は、どっかにイージーで、なおかつ自分を特別にしてくれるアイデンティティの置き場所を求めちゃう。
 それでトランプの陰謀論にハマることで、自分たちは「大国アメリカの真実に目覚めた戦士」として、「アメリカの偉大な朋友日本」の代表として生きられる!というアイデンティティの持ち方をしているんだと思う。その先がアメリカなのは謎だけど、まあ菅総理じゃダメなんだろうな……というのはわかる気がする。
 そういう人間にどうにかして、「簡便な外付けのアイデンティティなんかなくても、あなたはここにいてもいいんだ」って言う必要がある。速水螺旋人先生が「だれかトランプを抱きしめてあげれば…」みたいなことを言っていたがそういうことだと思う。でも世の中それは誰もやってくれていない。

 

 

CMは世界を改善しても救ってはくれない

 例なんですがナイキの話題のCMありますね。それがしは大企業のマーケティングに踊らされたくないと思ってみてなかったんですが、友達の会話に上がったので今日見た。まあそれ自体にとくに言うことないですね。「スポーツをやってアイデンティティを得る」ってことはそんなに称揚されるべきふるまいなのかなって思いましたけど、まあCMだからいいと思いますし、あれで勇気をもらったという人がいることは結構なことだと思います。
 で、問題はこれへの反応です。まあ想定どおりネット右翼とかがふきあがったわけですが、twitterでは「これに反発するのはただの差別主義者」「炎上じゃなくてただの言いがかり」みたいなリベラル系の人の反発者に対する切り捨てた反応とかがいろいろ見られました。
 私は「そういう流れが正しいの?」って思いました。たしかにあのCM見て「日本を貶めている!」とかいうのが愚昧で非論理的で、結局差別意識の発露でしかないのは間違いないでしょう。でも、わざわざそんなこと言わないとやっていけないあわれな人間を救わないと、誰もが尊重される生きやすい世界は築けないんじゃないの?


 ナイキという企業にとって、ネット右翼的なことをわざわざ書き込んで、ナイキ不買!とかやっちゃう人はしょせんラウドマイノリティだから、そこで起きる分断は痛手にならない。でも(高確率で)日本列島で死ぬまで暮らさないといけない我々民衆は、その分断と対峙しないといけないんだ。なら、そういう「差別=バカ、反差別=かっこいい」みたいなマーケティングに乗っかって、ネトウヨをバカにしつづけるのは違うだろうって思います。なによりも、本領を発揮したファシズムのかっこよさに、「差別に反発するのってかっこいいよね」みたいなのが勝てるはずがないのでそれは負け筋なんじゃないかな。
 いまのネトウヨヘイトスピーチなんかは激ダサですけど、国家が明確にファシズムに加担すると、ベルリンオリンピックとか、日本の対外プロパガンダ「FRONT」とか、ソ連社会主義リアリズム広告みたいなのがポンポン作られるようになる。そうなったら負けです。電通は今までも日本政府と自民党の仕事をいろいろ請け負っていて、まだダサいけどいずれはかっこいい宣伝をやれるようになると思う。そうなってから日本政府が排外主義や全体主義にふりきった場合、「ここにいてもいい」という安らぎよりもファシズムに加担する楽しみが勝つから手遅れになる。

 

この世界の片隅に』の「ここにいてもいい」

 「この世界の片隅に」という映画は、それを描いていたと思います(長尺版は未見ですがマンガは読んだ)。あの作品は「居場所のない少女が『戦争に協力する主婦』というアイデンティティを持ち、それが敗戦で崩壊し、最後に地に足ついた居場所を手に入れる」物語だと言えます。
 あの作品で私にとってもっとも重要なシーンは主人公すずを微妙にいびっていた義姉径子がすずに対し不器用なりに「ここにいてもいい」と言うシーンですね。

 嫁ぎ先の居心地が悪いなかで「一億玉砕」といったプロパガンダを真に受けて、戦時総動員体制に参画することに喜びと充実感を得ていたすずが、そうした外付けの「居場所」をあきらめて、この世界の片隅で一人の人間として生きるきっかけになるという意味であの作品における救いかなと思います。

 それを実際にいま、ネット右翼に対してもやればいいのかなって思うわけですよ。ただ『この世界』は戦中の19歳の少女で、2020年の目立たない中年男性でやれるのかというと……。無職の息子である私が父親に「あんたがイヤんならん限りあんたの居場所はここじゃ」と言っても殺されるだけですからね(笑)。いや笑いごとちゃうんや、これがわりと問題の中核かもしれん。

 

中高年のあつかいづらさがキモ?

 ネット右翼を構成するのが中高年の男女であることはいろいろな調査でわかっている。それはやはりそういう中高年に居場所を肯定してやることが難しいという点につきるだろう。外付けのイデオロギーにハマっちゃう程度に確固たる自我がないくせに、年くって無意味に年功序列の偉さが発生し、思考の柔軟性も落ち、見た目も(おおむね)良くなくて、老人としてあやせるほど老いてもいない存在。救いづらすぎるだろ……。おまけにプライドは高いし、日本という国にいまだ経済大国の幻想を見ているとくれば、これはもうどうすりゃいいかわからん。

 でも自伝をもたない味気ない中年のなにげない日常も、世界を面白くしていると思うんだけど、なんで気づいてくれないんだ……。

 

 だから私は自分の父親をどうこうしようとは思わない。無理なものは無理だし、関わって私が苦しくなるのはごめんだ。でも作品を作るものとして、他者に居場所を保障するものを作りたいと思った。

 最近見聞きしたものだと、ゆるめるモ!の「おこらないで」という曲が良かったです。具象的な言葉は出てこないけど、どう聞いてもネット上の不毛なレスバトルや誹謗中傷をとがめている。とげとげしさがいっさいない。俺もアイドルになるか……。

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