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檜山バターン(@hiyanimation)のブログです。note(https://note.com/batahiya)では別の記事を載せていてそっちの方がちゃんとしてます。このはてなブログは知人に読まれることを想定していることが多いです。

都知事選の感想

 全てが淡々とした行事のように終わってしまった。

 


 コロナとオリンピックだけでもどう見ても常にメディアで論戦が繰り広げられるべきレベルだったが実情はそうでなかった。

 忘れられがちだが豊洲問題は結局どう収拾されたのかも取り上げられるべきだった。

 候補者有権者が万全の状態で取り組むべきレベルの選挙だったはずだ。(理想論としては全ての選挙がそうだったが、とりわけ重要だったということだ。

 それなのにテレビでは候補者同士の討論会が一度も行われず、これまでの都政に対する切り込んだ言及も行われなかった。(まあ俺はテレビほとんど見ないので詳しくは知らないのだが)

 誰が勝った負けた以前の問題が多すぎる。

はじまってもいないのに終わったような感覚がある。

 


 利権のための茶番で民主主義を腐らせた人々を倒さない限り、この国はどうしようもない。そんなことはわかっていたが、そういう国家全体の空気とは別で動きやすい地方首長選挙でさえそうなったことに絶望感がある。

 前回の知事選および都議会選で、小池百合子都民ファーストの会なる烏合の衆を立ち上げて自民党とは別の存在であるとアピールして大勝したことも茶番だったが、そういう広告が効果的なくらいには独立性があったのだと思う。小池百合子というキーワードのもと、この4年で民主政治はさらに衰退したのだ。

 

小池百合子についての感想

 はっきり言うが、小池百合子にはなんの成果もない。豊洲移転に関する問題を政治ショーのためにさらに混乱させたことと、関東大震災で起きた虐殺への弔文を送らなくなったことが数少ない「成果」だろう。

 コロナ対策はほとんど最悪の対応だろう。世界でパンデミックが起こってもオリンピックのためになんの対策も要らないとしていたが、オリンピック延期が決まった瞬間に自分の見せかけのリーダーシップアピールのためにキツい自粛を強要した。与えられる補償は国と同様に雀の涙で、たくさんの飲食店や文化施設がこの間に潰れた。

自粛終了から現在までの期間は、感染者は如実に増えている。そもそもちゃんとした検査を安倍政権も東京都も指示していないから実態はよくわからないが、小池百合子が演出した「自分の指示した自粛によってコロナは抑えられた」というストーリーは完全な虚妄だった。しかしその失政を隠すためそれ以降は大枠の対策をとらなくなった。東京アラートなる造語を作ったものの、なにもなされないまま、7月はじめには基準自体を変えてしまうという体たらくであった。

 これらの点を踏まえて到底信任できないと判断した。よく政治について(特に与党を擁護する人によって)他よりマシかどうか、という観点が語られるが、そういう統合的判断で動くことは主権者の振る舞いとしては相当最後の方に来ることである。というのも、主権者による自分本位な投票行動の揺乱こそ政治を中庸に制御するキーなので、ダメなところが目についただけでとりあえず変えるくらいの方が原則としては正しかろう。

というかこれより悪くなる都政が想像つかないぞ。

 

 


選挙戦の感想

 野党統一候補として宇都宮けんじ氏が擁立されたところに、山本太郎が参加しだしたことが色々リベラルの人々の中で話題になった。

 俺もさいしょは嫌な感覚にはなったのだが、それはは後述。

 実際のところそういうことを有権者が議論するのは詮ないことだろう。被選挙権は誰にでもあるのが当然であるし、「票割れ」みたいなことを圧力かけてどうこうしようとするのは傲慢だろう。

 色々な意見が出たところで宇都宮けんじ氏が「選挙に出ることも市民運動だ」と言って山本批判をぶった切った。

 市民による政治の参画にハードルがあることを批判し続けてきた宇都宮氏がそう言ったことに、誠実さを感じたし、そうはっきり言われたことで山本太郎のねらいも明確に分かった。

 山本太郎は選挙における投票行動が様式化されることを変える、という一心で出馬したのだろう。

 ここ8年ほどの自民党の天下は投票率の低さと自民党が持つ日本中の全国にある自民党地方組織と創価学会の組織票、これによって支えられていると言っていい。

 それは前回の衆院選で、与党に票を入れたのは国民の25%であるという端的なデータから「どんなときにも現職に入れたがる無党派層」という行動様式をさっぴいて考えればわかる。

 

 繰り返しになるが、この国の趨勢を決めているのは組織票である。

 

 組織票を超える無党派層、政治に馴染みが無い層をある程度でも取り組めば2009年のように圧勝できるし、取り込めなければ負け続ける、そういうシステムになってしまっている。

 だから山本太郎は与党対野党統一候補というお決まりの構図に水を差して波乱を起こそうとしたのだろう。野党統一候補策定プロセスの不透明さとか、自党が野党共闘にそこまで立ち入れないことへの反発とかもないわけでは無いと思う。

 


 それはわかる。だがそれはどう頑張ったところで野党側が勝てない、と踏んだからそういう行動に出たことが俺にとっては悲しかった。

 山本太郎は野党(宇都宮氏)が勝てる確率が1%でもある戦いだったら出なかっただろう。

 ほんとに1パーセントもなかったのかと思いたくもなるが、事前の世論調査、結果としての得票数、諸々の統計すべてが告示時点での覆しようのない敗北を裏付けているので、これはやはり間違いない。

 俺は敗北主義で戦わざるをえない状態が大嫌いなのだ。おそらく「リベラルの人々」もそうなのだろう。負けが分かっていながら戦い続けることに厭気がさしている。

 だからといって覆しようのない敗勢を「与党対野党」として粉飾して勝てる気になるのは愚の骨頂でしかない。

 結論として、山本太郎の敗北主義は未来に希望をつなぐ、良い行動だったのだと思う。

 

 

 

 次に勝つために

 このままいけば無理矢理延期されたオリンピックは大変な混乱を呼ぶだろう。ネット討論会で山本太郎が指摘した通り、延期開催に関する予算編成すらちゃんと組まれていないし、会場に関する精緻な設計が行われるとは思えない。

そもそも予定通りの開催すら、ボランティア不足など色々危ぶまれていたのに延期したらもっと大変だろう。パソナにさらに委託する未来が見える見える……。

 もっと大枠でいうと、結局中止になったり、コロナの再蔓延が起こったりするかもしれないし、延期開催費用に関する汚職・会場使用に関する揉め事なども起こるだろう。そしてあまり考えたくはないがこんな状態ではテロの危険度、成功率も跳ね上がっているだろう。

 そうした間違いなく起こる重要な失策を国政選挙、および2024年の都知事選までにどう覚えてもらうかが重要だ。はっきり言って一年経ったら忘れる、それがこの国の主権者だ。

 だから政治家、政治に興味がある有権者は関心を持ち続けてもらうために行動をし続けていかねばならない。


 ……のだがTwitterはそういうツールとしてはだいぶ微妙な気がする。市井の人の政治ツイートに反応してくれるのは最初から政治に興味ある人だけじゃね?

 そもそも反応があったところで議論には使えないし……Twitterで発信することにはだいぶ違和感を覚えます。

 KuTooとかは成功したけど、あのくらい生活に密着していて、党派性がない(ように見える)運動でないとダメなのではないか。

 

 検事総長定年引き上げ法改悪の阻止にも成功しただろ!と思われるだろうが、あれは芸能人有名人によるツイートと、コロナでみんな仕事していなかったという状態の重なりによって起きた事象であると思う。良いことではあったしこれで政治に関心を持つ人も増えたかもしれないが、そういうことがこれからも起きると思うのは希望的観測にすぎる。


 Twitterみたいな何も信用のおけないネット世界では、もっと基礎レベルの啓蒙に努めるべきだと俺は思う。

 選挙を勝つ人にいれる競馬みたいなものだと思っている人間や、自分が投票、応援した政党は全て擁護しないといけないと思っている人間(ネット右翼に多い)が多く見られる。

 民主主義の基礎が根付かないと投票行動にも結びつかないしまっとうな議論も呼べない。

 暗中模索がずっと続くが、とりあえずそういうことの徹底が重要かもしれない……。

 

追記:桜井誠についても色々書きたい気持ちになったがこの古谷経衡の記事を読んでもうちょっと色々見てから判断すべきだと思ったので今は書かない。とはいえ切迫した問題でもあるので難しい。

https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20200706-00186751/