「100日後に死ぬワニ」の桜について
「100日後に死ぬワニ」100日目の桜の描写について思うことを書きます。
まず100日目の回自体の解釈について。
読後最初の記憶を思い出すとTLでワニが「あっさり死んだ」みたいに言っている人が多くてびっくりしたんだよな。めっちゃ豪勢に死んだじゃねえか。
最初俺は雑にしか読んでなくて「ヒヨコを助けて死んだ」ということに確信をもってなかったんだけど、それでもあの桜の描写は十二分にドラマティックすぎるだろうと思った。
それで読み直したら3p目2コマ目のワニの体にスピード線ついてるからこれ確定でヒヨコ助けてんじゃんと気づいた。
人命を助けて死ぬってとても英雄的な「美しい死」に他ならないじゃないですか。
「美しい死」なんて幻想を現代的日常に接続させちゃあいかんでしょ!
ということがまずある。そんなもんはイーハトーブにしか無い。
その上で俺は桜の使い方に衝撃を受けてしまった。
桜というものはたしかにですね、ドラマティックな滅びの印象をもって日本の伝統のなかで歌われてきたものではありますよ。
ただ、「奉公して死ぬ」ということと桜を結びつけたのはおそらく明治以降の日本軍、それもとくに昭和期の日本軍だけなはずです。だから「ワニ」における桜は、本質的に太平洋戦争時の軍歌の中の桜なんです。
俺自身も理解しきっていないわかりづらい話なると思うのですが説明します。
日本の文芸の歴史において桜が象徴するのは儚い世界そのものなんです。そもそも前近代には自我という概念があんまり無いので自分の命と世界というのは不可分に繋がっていたということもあるのですが、桜は誰かの命を象徴するような小さなものではなく、世界そのものの悲しみの象徴なんですよ。
古今和歌集の有名な歌に
のこりなくちるぞめでたき桜花ありて世の中はての憂ければ
という歌があります(読み人知らず)
「はての」は「果ての」、つまり「のこらず散るから桜は美しい、どうせ世界はあっても終着点は嫌な苦しいものなのだから」みたいな意味ですね。「世の中」には世界のほかに世間という意味もあるんで「世の中」の意味を人間関係程度と捉えて読むこともできるかもしれませんが、とにかく桜はあくまでも人間をとりまく世界の象徴なことがわかります。
うつせみの世は夢なれや桜花咲いては散りぬあはれいつまで
という歌があります。現代語訳すると「空虚な世界は夢なのだろうか、だから桜の花も咲いたかと思うと散ってしまう、ああいつまで……」みたいな感じで、この「いつまで」には間違いなく自分の命のことが念頭にあります。ただその命というのは桜を見て想像されたことであって直接言及されてはいません。上の句において桜と並ぶのはうつせみの世、つまりこの世自体なのです。
次に「他者のための死」のあり方の変化について説明します。たしかに「平家物語」や「太平記」には大義のために命を捨てるという美学が描かれるんですが、それはそういう身分に生まれた必然の宿命に、美を見出したものなんですね。百姓に生まれた人間が細々と農業をやって生きることに疑問を持たないように、武士に生まれた人間は疑いをもたずにその死を受け入れたようです。実際その運命から逃れることはまあ出家するとかしない限りできなかったので、受け入れざるを得ないものでした。(宿命を受け入れながらもやりきれない悲しみを言葉にしようというのが中古までの日本文学のテーマだと思います。)
そういう運命がいわば実在した時代の宿命論が、花に例えられるのは一つの道理なわけで、ポエティックな感傷とは別次元の痛切さがあったわけです。
さて、それと太平洋戦争中の死がどう違うかというと、そうした絶対不可避の宿命ではなく一個の人間の選択として大義のための死を受け入れさせたところにあります。特攻隊でさえ形式上は志願制をとりました。それはつまり「望んで天皇のために死ぬ」という、国民国家の近代市民的プロセスを踏ませたということで、そこに宿命論的な美しさは存在しないし、「個」を内包させてしまう巨大な「全体」があるという世界観は、日本文学の伝統のなかで桜がもっていた「世界そのものの儚さ」というテーマとはもっとも遠いものでしょう。
それに無理矢理桜というものを意味合いを歪めたうえでくっつけたのが太平洋戦争における桜の使われ方だったわけです。
ようやくワニの話に戻って参りますと、このワニの、自我をもって毎日の生き方を選択して生きる現代的な個人の日常に、前近代的な「美しい死」を接続させた、って点がまず太平洋戦争の志願兵の死に方で、そしてそれを飾るものとして桜を用いた、ということはまさに、戦時中のプロパガンダの桜の使い方にほかならないんだ!ということが私の主張で、そういうものを無自覚に反復して享受しているんじゃないかと思います。