日記(原爆について)
今日は広島原爆の日ですわ。過去の惨劇は今も凄まじい力を持って我々に戦争の悲惨さを伝えてくれるが、現行の政治や市民団体からメッセージとして流されるおはなしは悪い意味で変わらないっすね。
どういうことかというと、被爆者団体などのスタンスが「原爆、核は絶対悪である」というものなせいで現実に対して発展的な思考ができてないんです。
まず言っておきますが市民30万人が消し飛んだ惨劇を見た当事者がそれを絶対悪だと憎むこと、自体は仕方ないと思う。あと核兵器禁止条約にも賛成です。でも核兵器を悪と見なすことによって冷静な認識から離れていないかって思うんです。
いわゆる「原爆の正義」はあります。原爆は戦略上意味のない殺戮だったって言い方がありますが、もし原爆投下が無かったら、8月15日に玉音放送は流れてなかったことは間違いない。色々な資料が残っていますが、原爆投下ってのが一気に終戦工作を進ませたことは間違いない。というか玉音放送でわざわざ言ってますからね、「残虐なる爆弾を使用ししきりに無辜を殺傷し」被害ははかりしれない、これ以上継戦したら日本民族の滅亡だし人類文明をも破却してしまう、とかなんとか言ってます。要は原爆なんてもん落とされたら降伏するしかないんだわかってくれよ、と国民に言っているわけです。
原爆投下が中止されていた場合、いつ終戦したかはわからないけど、延びた終戦までの間にいくらかの連合国兵が戦死したことは間違いないわけで、原爆によって救われた命(そこには日本人の命も入ってます)は間違いなくあったわけです。
そもそもミッドウェー海戦の惨敗、ガダルカナル島の再占領後の全ての戦いが「どうみても負けているのに負けを認められない日本」を諦めさせるための作戦だったようなものです。2年以上負け続けた上でまだ本土決戦とかほざいてる狂った国家に対しては、無意味な殺戮をしてやることも仕方なかったと思う。
まあ広島長崎のことはいったん置いておきましょう。敗戦国として、被曝国として冷静な歴史分析以上に原爆絶対反対の意見でまとまることには意義があったと思いますから。
ただ、現在もすぐ近くで核の正義があると思うのです。それは北朝鮮です。
現在、コロナ対応の失敗で、もともと不安定だったトランプ政権の支持率がふらふらになっていて、同じくコロナ対応の不足が言われる中国習近平政権と「米中対立」を深めることで支持を保とうとしています。
どう見ても茶番ですが、公使館をめぐる対立は色々な人に波及しています。
この流れでいくと、かつて「テロへの報復を実行して見せる」という目的だけでイラク戦争を起こしたときのようにならないか、と思われるのは全くおかしくないでしょう。
さすがに中国と直接戦争はできないでしょうから、そうすると中国サイドとして一番狙われやすそうなのはダントツで北朝鮮です。
そこでもし「北朝鮮が核武装していなかったら?」と考えると、トランプ政権による攻撃のリスクはもっともっと高かったことでしょう。
それに北朝鮮は今までも核開発をめぐって色々な譲歩をアメリカ韓国にさせてきました。
要するに、どう考えても核による平和、抑止力はあります。抑止力論全盛の冷戦期よりも今の方があるかもしれません。
それでも!大量殺戮を可能とする兵器は許されざる禁忌だと思います。
だから考えるべきは現状有効な核武装という手段を無効な手段に変えよう、ということで、そのように局面を変えようとすることが日本の役目なんじゃないですか。現在の「核は絶対悪でいけない」というスタンスではそういう本質的な議論になりづらいと思います。
あと、言うまでもないことですが、日本政府の「核はいけないと思うけどアメリカ様の核保有には反対しない」というスタンスは絶対悪論以下の最悪の意見(というか無意見)です。本質から最も遠い。
北朝鮮は「非核化を求めるならまずアメリカが辞めろ」と言っていて、それは筋が通っていると思います。まずは米帝の非核化を求めていきたい……がトランプは小型核の開発をさせているこの現状よ。
ごちゃごちゃ言ったけど俺は戦争無くしたいという小学生みたいな思いをちゃんと持ち続けたいんだ……。軍事と戦争に使われる金でコミティアやろうよ。
コミティアなくなったのがとても悲しい。バイトの面接に行き忘れるし、最悪だ…。