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檜山バターン(@hiyanimation)のブログです。note(https://note.com/batahiya)では別の記事を載せていてそっちの方がちゃんとしてます。このはてなブログは知人に読まれることを想定していることが多いです。

日記(政治について、について)

千と千尋」のリンの声優が政治的発言してる!許せないって言ってる人がいた

 消えるかもしれんから、引用します

この人、「千と千尋の神隠し」のリン役。知らないうちにこんな人になっていて、リンが好きだからショック。今後「千と千尋の神隠し」のリンを観るたびにこの人の思想を思い出してしまう。だから芸能人が政治的発言をするのを快く思えないんだよ…

そんなスタンスでよく宮崎駿の作品なんか見れるな……と思ったが
そいつにとっての世界はせいぜいツイッターで“流れてくる”情報だけなのだろう。
監督である宮崎駿ツイッターやってないから宮崎駿のガチ左翼活動は存在しないのだろう。

こういう「(他者によって)選ばれた情報」に慣れすぎて、視野が狂った人間が量産されたのがいまのネット村社会だ。
そしてそういう人間に適応したのが
この7年、日本に君臨した社会システムなのだろう。
小泉のB層戦略からしてそうだったが……時代がドクトリンに追いついたのだろう。

そういう人間に世界が実はノイズまみれであることを明かしてやりたいが、

まあTwitterで欲しくない情報が流れるのは嫌なのは当然だ、同意します
頭使わないでみたい、と思うのは大量の短文と画像を処理する必要があるツイッターでは必須の思考方向性ではないか。
みんなでシャボン玉吹いているときにトラメガ持った政治演説が来たらちょっと嫌だろう。
まあその嫌さくらいは受け容れろよって話だが、Twitterはやっぱり構造的にだめ、

MAGAとかCHINA!しか言わないトランプの使い方は(メディアへの適応性という意味で)正しい。

noteはそこそこいいスピード感と読ませる態勢があるように思うが……どうなのじゃろう。

ソクラテス孔子は書物による伝導を信じず対話のみを重視したが、
それは大事な観点だと思う。

顔と顔突き合わせてタイマンで話すとしたら、そんなの聞きたくない!と逃げることはほぼ不可能だろう。

さかのぼるが、「政治発言許せない」とのたまった方が引用ツイートした玉井夕海さんのツイートはそもそも、松任谷由美安倍総理に感情移入して泣いたと言ったことに苦言を呈したものだった。

 


じゃあまずその論理でまず批判すべきは、政治家とロマンが同じとまで言いおった松任谷由美なのではないかと思ったが、そういうことはツイートしていなかった。
かわりにったのは安倍政権を批判する人間への冷笑ツイートばかりであった。
そういうダブスタ、というか本心(政権へのしっぽ振り)が見え見えなところに国語力の低さを感じずにはいられない。

かつてキリスト教会はほとんどの信者が非識字者(文盲)であるためにステンドグラスを使って説話を伝えたという。
我々が世界のごちゃぐちゃ性を伝えるにはそういう努力もいるかもしれない。とか書くとなんか下に見ている感じが出すぎか、まあいろいろ伝え方工夫しねえといけねいやってことです。
大人が児童に自発的に先生の意をくむことに期待するのも社会悪である。

 

 

とりあえず政治に関することははてブでだけ書こうと思う。内向きというか、知り合いの方々に読まれること想定。

政治発言するのをビビッているのか?と問われれば、半分是で半分否である(といいたい)。

私はnoteは売り物になるくらいのコンテンツとして作りたいとおもっている。

日記なら思ったことを羅列してもいいが、政治に関することばは、感覚だけで書いても

ちゃんとした文にはならない。それは政治的な倫理のはなしである。

 

そしてそもそも、政治を読むには前提となるニュースや知識が多い。

読み手がまったくそのような前提を持っていなかった場合、いたずらに分断をあおることになりかねない。Twitterで日夜行われるネット論争の不毛さはそこに元凶がある。

 

逆に言えば私は、ちゃんとソースを集めてちゃんと構成した文なら、面白おかしいコンテンツとして成立するものではないかと希望をもっている。

それも論文のような固い言葉ではなく、今日のこの記事くらいには平易な言葉で……って思ったが、そんなに平易でもないな。もっとがんばります。