コミティア131「契約」全文と解説
コミティア131で売った漫画を載せます。わかりづらい用語とかに解説を付けました。
触手は自己による自己愛の象徴であり、宗教による承認と対になる存在です。しかし仮想上の存在を利用した承認という点では神と同じ限界点を持っています。
初聖体の拝領とはキリストが最後の晩餐でパンを「わたしの体である」、ぶどう酒を「わたしの血」であるといって弟子たちに与えたことに由来する儀式です。
イエスが既存ユダヤ教勢力を改革すべく戦った末に裁判にかけられて死刑になるその直前のエピソードで、これから死ぬイエスの身体を基礎的な食物にたとえたわけです。それはすなわちイエスの死が神と人の契約(新約)になることの宣言でした。
キリスト教とはモーセが神とユダヤ民族のあいだに交わした旧約を、メシアであるイエスの死と復活による新約が更新したと信じることが中核にある宗教なので、重要な儀式であり、この作品の「犠牲」というテーマの一つの軸になります。
写真の人物は内村鑑三です。理由は特にない。
ここでの「神の国」というのは神様が住んでいる国という意味ではなく新約聖書においてイエスが預言した、世界が終わったあとに神に選ばれた人間がいける世界のことで、つまり天国のことを指す用語です。天使と悪魔が同一であるこの作中世界的には天国であり煉獄であり地獄であるのが神の国である、と考えていますがあまり重要ではないです。主人公おめがは終末が来る前の準備期間中の神の国に来てしまった~というのがここでの筋書きです。
ここでの天国、地獄は善と悪の概念的な用語です。
ここらへん何言ってるんですかね?人類の救済というものはスケールの飛躍した究極の欲望ではないかと思います。
ソロモン♡はユダヤ人の証拠として書く。
ストーリーを解説するとおめがは疑似的にイエスが磔刑のために十字架をもって運ばされた「苦難の道」の場面を疑似体験させられたわけです。本作品は「ヨハネによる福音書」をベースにしています。なので十字架をシモンが代わるエピソードとかエリヤを呼んでると勘違いされる話はないです。(勘違い話は本当はねじこみたかったけど忘れた)
「渇く」はヨハネによる福音書に出てくる最後の台詞ですね。どういう意味なんだ?
コリントの信徒への手紙からとったはずなんだけど箇所を忘れた。
読んでいただけばわかるように「死ではなく生による契約」という結論的なワードが、実質的には犠牲を通じた契約にすぎない、という言葉によって一気にぶっこわされてしまった。
書きながら「結局触手も消えるから死んでね?」と気づいて混乱しながら終わりそうだったシナリオをこわしてしまった。コミティア当日の9時頃のことだった。
「犠牲を通じた変革」という世界を支配する概念に「犠牲の否定」というアンチテーゼをかがげた私という作者が負けた、そういう作品ですね……。
印刷したものにはあとがきがありますが、それは8ページくらい書き終わった段階で現実逃避で書いたもの(それはあとがきではない)なので読んでいただく価値はないです。あとがきでは三位一体がどうのこうの言ってますが本編だと触れることなかったですしね。
セカイ系とキリスト教に通じる「自分を愛してくれる存在を犠牲にした生の承認」という概念を打ち壊す作品を作りたかったのですが、自己による愛では勝てなかったよ……